バス・ルッテン「 俺もオキシコドン中毒だった。一度薬物に体を乗っ取られてしまうと2度と元に戻ることは出来ない。マーク・ケアーも頑張ったが叶わなかった。」

15 Years Since 'The Smashing Machine': My Time with Mark Kerr

マーク・ケアーの1998年から2000年までを追ったドキュメンタリー番組「The Smashing Machine」がリリースされてから早15年。ケアーの友人でもあるMMAレジェンドのバス・ルッテンがケアーとの思い出を語っています。

「マーク・ケアーと初めて出会ったのは1997年に彼がWorld Vale Tudo Championship 3に出場してトーナメント優勝した時だ。大会の後、彼と話をする機会があった。その後PRIDEに参戦する前の彼とアメリカのビバリーヒルズ柔術クラブで一緒にトレーニングすることになった。当初はなぜ彼が尋常ではないほどの汗をかいているのかがわからなかったが、物腰が柔らかくとんでもないパワーを持ち合わせたナイスガイという印象だった。

最初に彼に言ったのは、毎日体重計に乗ってもらい体重を管理していくということだ。これから物凄いハードなトレーニングをするわけだからこれ以上体重が増えるとは思わない。仮に体重が増えた場合はトレーニングを一旦休止する。今必要なのはスタミナを強化する事でパワーを強化するトレーニングではない。俺たちはお互いに握手を交わしてトレーニングを開始した。

PRIDEの相手は元K1チャンピオンのブランコ・シカティックに決まっていた。シカティックと打撃で打ち合っても勝ち目はないから、マークは試合開始と同時に相手をテイクダウンしてグラウンドに持ち込む必要があった。

試合ではマークがテイクダウンを試みるも、シカティックがロープを掴むことでテイクダウンを出来ないようにし、その状態からマークの後頭部へエルボーを落としていた。レフリーがシカティックに警告を与え試合は再開されたが、同じことが再び起きてしまった。
今度はマークがキレ、シカティックにアッパーなどの攻撃を加えて相手がノックダウン状態になっているにも関わらず頭部に蹴りをいれてしまった。結局試合はマークの反則勝ちとなった。

マークはその後ペドロ・オタービオ、ウゴ・デュアルチ、高田延彦らを倒し3連勝を飾った。デュアルチと戦った同じ大会ではマルコ・ファスも参戦していた。俺はマルコとも一緒にトレーニングをする仲だった。マークもマルコも二人とも強靭な肉体を持っている。そしてこれが引退を決意する原因にもなるのだが、そんなモンスター並みの力を持つ彼らと一緒にトレーニングをしていくなかで徐々に腱炎を発症してしまっていた。ある時俺はどうしても痛みに耐えられなくなり病院へ行くことを決意した。そこで俺は病院へ行くことを告げると、マークが一旦トレーニングを辞めて彼が泊まっているホテルに戻ろうと言い出した。

俺たちがホテルの部屋に着くと、マークがこれを打てば5秒でその痛みはなくなると注射器を取り出してきた。正直俺は薬物注射なんてものには興味はないし、第一得体のしれないものを体の中に取り入れるのは御免だと思っていた。しかしその時は尋常ではない程の痛みを抱えていたから、俺は何も言えず注射を受け入れてしまった。ただ彼の言ったことに嘘はなかった。5秒もたたないうちに痛みは消えてしまった。

オランダでバイコディンを処方されるのは相当な痛みを抱えている人だけという印象を持っていたから、当時アメリカに来て数年が経っていたがバイコディンという鎮痛剤を摂取したことは一度もなかった。実際に摂取してみると、吐き気や汗が止まらないという状況だった。と同時になぜマークが常に汗をかいているのかを知った瞬間でもあった。」

※腱炎
腱に刺激や炎症が起こることで、急性の疼痛や圧痛を引き起こし炎症の起きた関節を動かすことが困難になります。

「マークが使用していた鎮痛剤の名前はヌベインだった。ヌベインの副作用は半端ではなく、彼がヌベインを摂取した状態で試合をしていたなんて信じられないくらいの副作用だった。俺たちはその後東京で複数レストランを経営しているモチダさんの所に行き夕食を取ろうとしたが、めまいが酷く食事どころではなかった。よくこんな状態で戦えるなとマークに尋ねたところ、すぐに体が慣れてくるから大丈夫だと言っていた。

マークの次の試合の相手はイゴール・ボブチャンチンだった。ボブチャンチンを初めて観たのは1996年にウクライナで開催されたIFC 1: Kombat in Kievという大会のトーナメント戦に俺が解説者として、彼がファイターとして出場した時が初めてだった。

彼は参加した選手の中で体格的に一番劣っていて、相手との体格差は最大で80Kg程あったはずだ。しかし彼は全員ノックアウトして優勝してしまった。マークにとってタフな試合になることは予想していたが、試合はグラウンド状態での膝蹴りがあったため無効試合となった。

試合は無効試合という形で終わったが、俺が気にしていたのは彼のスタミナ面だった。この試合の彼にはかなり疲れがみえた。この試合以降はスタミナ強化を中心にしたトレーニングに変更することに決めた。この時期何かおかしな点があったとすれば、彼はどんなトレーニングをこなそうが常に最高のフィジカルを保っていたことだ。

次戦のエンセン井上戦では判定で勝利をおさめている。しかしこの頃より彼のキャリアは下降線を辿っていく。おそらく薬物に体が乗っ取られてしまったんだろう。ここまでの彼は12勝0敗という成績だったが、これ以降は3勝11敗という成績に終わっている。

ヒース・ヒーリング戦の後、マークはリハビリ施設に入所することになる。ドキュメンタリーの中でも観ることが出来るが、リハビリを終えたあとでも、彼は2度と以前の彼に戻ることはなかった。」

俺自身もオキシコドン中毒だった

「アメリカでは多くの子供たちが幼少の頃から鎮痛剤を摂取している。とても深刻な問題だ。状況は悪化する一方で、今ではアスリートだけではなく一般の人も好んで摂取している。鎮痛剤の怖さは、一度鎮痛剤なしで生きることが困難になると、もう鎮痛剤なしで生きる事が出来なくなってしまうという事だ。

俺自身もオキシコドン中毒だった。不幸中の幸いとでも言うべきか、俺は大人になってから鎮痛剤に頼るようになった。もし子供の頃から中毒になっていたかと思うと恐怖しかない。

マークの状況をみているのはとても辛かった。しかし彼は中毒をしっかりと克服した。また自らの過ちを公にすることで同じような状況にいる多くの中毒者を救おうとした。マークはこの映画を通して鎮痛剤の恐ろしさを身をもって伝えたかったんだと思う。

皆薬物は一瞬のものだと勘違いしているが、一度体を蝕まれてしまうと2度と元に戻ることは出来ない。マークも頑張って復活しようとしたが叶わなかった。ナイスガイのマークにこんな事が起きるなんて薬物はとても恐ろしい。」

https://champions.co/p/bas-rutten-reflects-on-mark-kerr-fifteen-years-after-the-smashing-machine/4270858
バス・ルッテン「 俺もオキシコドン中毒だった。一度薬物に体を乗っ取られてしまうと2度と元に戻ることは出来ない。マーク・ケアーも頑張ったが叶わなかった。」 バス・ルッテン「 俺もオキシコドン中毒だった。一度薬物に体を乗っ取られてしまうと2度と元に戻ることは出来ない。マーク・ケアーも頑張ったが叶わなかった。」 Reviewed by Hideki Azul on 5/18/2017 Rating: 5
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